1996年10月26日〜11月3日 第79回DMA大会(ニューオーリンズ)
オープニングセッション> ・
DMA会長 Jonah Gitiliz ダイレクトマーケティングビジネスの成長、経済に与えるインパクト、ダイレクトマーケティングのグローバル化サイバースペースでのダイレクトマーケティング、DMAとサイバースペース、プライバシーについて語る。 1996年数字では、ダイレクトマーケティング関連に従事している人数は2000万人、ダイレクトレスポンス広告は1440億ドルで総広告費の58.3% ・マディ・ケント・ダイクトワルド(『Age
Wave,Inc』の創業者) 高齢化時代を迎えている。ベビーブーマーが50歳代に入り50歳以上の人口構成が高くなり長寿時代になりつつある。マーケティングに視点を変化させる必要がある。定年退職した夫がキッチンに入り大混乱を起こすテレビコマーシャルを映しながら(会場爆笑)シルバー時代を解説<ゼネラルセッション> ・レスター・ワンダーマン講演 世界中に65の支店を持つ売上16億ドル(当時)Wunderman,Cato&Johnson社の会長及びヤング&ルビカンの上級顧問、電通ワンダーマン社の取締役も兼任。 ワンダーマン氏のスピーチは過去の基調講演スピーチテープの一部を肉声で再現し、これまでどのような業界展望を語ってきたか披露することから始まった。 *肉声の一部 1974年 ダイレクトメール/マーケティングアソシエイト(DMA)での講演 「物理的直結型ダイレクトから電子媒体型のダイレクトマーケティングへと変化する世界の中でダイレクトマーケティングはつねにつながりを作るプロセスとして存在する」 1983年 ダイレクトマーケティングと名称を変えた初年度の講演DMAに変更 「インターラクティブシステムがバイヤーとショッパーが常時連結できるフレキシブルでデータに基づいた知識先導型の媒体を提供する」 1993年 「30年以上従事し、展望を語り、鑑賞してきたダイレクトマーケティングはいまや終わりました。今見られるマーケティングの新しい波は単なる新しいツールでの出現ではなく、これからのマーケティングのあり方を再定義するものである」 ・
今回のスピーチ 1996 年の全広告宣伝費の58.3%がダイレクトマーケティング技術を取り込んでいる。 現在のわれわれは、情報、通信技術、双方向システム、広告主の顧客ロイヤルティ中心型の宣伝広告、また末端ユーザーとのリレーションシップ構築の重要性などの波に襲われている。先を見越して何を準備すべきか。さらにブランドの重要性が変化しつつある。ダイレクトマーケティングは戦術ツールではなく戦略ツールとして位置づけされるべきである。ダイレクトマーケティングは、消費者の購買活動がどのように変化しようと常に消費者の動向を把握し先取りする努力をすべきである。そのためにはデータベースを作り、一方通行の関係ではなく双方向の会話の流れを取り込む。 以上のような話から、ワンダーマン個人の長い経験から成功しているダイレクトマーケティング会社に共通する「19の項目」の中から以下のような10の項目を挙げて説明した。 ※(ワンダーマン著書『ビーイングダイレクト』に詳細) 以下、ピックアップ10項目 1.
ダイレクトマーケティングは戦術ではなく戦略である 2. 商品ではなく消費者が主役であるべきだ 3. 広告は消費者の姿勢だけでなく行動も変えなくてはならない 4.
「ブランド体験」を促進する 5. 顧客のライフタイムバリュー(LTV)を測定し、それに投資する 6. 擬似顧客は見込み客ではない 7.
広告媒体は顧客との接点を設ける戦略であるべきだ 8. 顧客獲得の時点でロイヤルティを高める手法を設計すること 9. 富を生むのは市場シェアではなく顧客のロイヤルティシェアである
10. 重要なことは貴方が何を知っているかである(知識がすべてだ) (レスター・ワンダーマン略歴) ニューヨーク市イーストブロンクス生まれ。父、毛皮製造業。9歳のとき父が他界。高校時代、チキンの配達、無給でチップが生活費。1937年、カレッジ教育終了。取り立て代行会社就職。 コロネット・アドバタイジング・サービス、兄弟で設立(19歳)。雑誌に資料請求広告を提案。ここからダイレクトマーケティングを始める。1961年、通信販売業界首脳陣のハンドレット・ミリオン・クラブで「ダイレクトマーケティング」という概念を述べた最初。以後、タイム、フォード、ゼネラルフーズ、アメリカン・エキスプレス・カードなどダイレクトマーケティング業務を指導。(2006年10月10日『レスター・ワンダーマンの売る広告』より)
<分科会セッション> ・
ドン・シュルツ「ビジネス対ブランド構築コミュニケーションへの投資」 ブランドビルディング、カスタマー・インベストメント・マーケティングのすすめ ・
DRIブランドディレクター「クリエイティブやってよいこと、やってはならないこと」 ・ PCフラワーズ&ギフト社長「伝統的なダイレクトレスポンスとWEB」 ・
IBMインターネットカタログマーケティングマネジャー「IBMダイレクトのビジネス」 ※Webサイト、エレクトロニック・コマース、エレクトロニックアドバンテージ、などデジタルに関するセッションがかなり多くなった年 <企業視察とジェリコ特別講演> ・
アーサー・ヒューズ4時間の特別講演(ニューオーリンズのホテルにて) 西武百貨店2名のスタッフとツアー参加メンバーとともにデータベース・マーケティングのコンセプト、および顧客データの分析方法についてレクチャーを受けた。 特に話題にしたのは「RFMセルコード分析も出る」。ヒューズのモデルは、RFMそれぞれ上位から20
%ごとに54321と番号を振る等分方式。ヒューズは夕飯購入顧客をセグメントするのに最適であると述べた。 このモデルを参考に帰国のフライトの中で荒川方式を考案した。荒川方式はRFMそれぞれに基準値で54321をふる方式。 ※(荒川著書『好循環経営を生み出すデータベース・マーケティング』など数冊の本に紹介、これを参考にした顧客情報分析パッケージが日本で販売されている) ・
DRI会社訪問(ニューヨークSOHO) インターネット・マーケティングで成功する方式についてレクチャーを受けた 電通が先客で訪問していた。カウス(混沌)の時代にはいると解説。
※ 荒川コメント)翌年1996年、ニューヨークの彼の会社を訪問(電通が先約だった)。 オイルショック時代からクレジットカード時代、フリーダイヤル時代と変化し、今はインターネットなどデジタル時代とレクチャーを始めた。(彼のOPC+Iコンセプトは前掲) 韓国料理店に招待。丁度、ハローウィンの時期で仮面をプレゼントされた。いきなりクチから7色のテープを吐き出した。 ヤンキース37年ぶりワールドシリーズ優勝でマンハッタンは紙吹雪が舞ったそうだ(前日) ※
1997年4月14日、日本に招聘しセミナーを開催。祖父がプロの手品師で彼から手品を学ん だそうだ。セミナーは手品から始まった(参加者爆笑)。すし屋でディナーをしたが、トランプ手品を始めたので、われわれの後ろは人で囲まれた。 ・
リチャード・クロス講演(ニューヨークホテルにて) 『カスタマーボンディング』の著者 データベース・マーケティングの発展段階をエントリー期、インターミディアム期、アドバンス期、エクセレント分けて説明。エントリー期は成果よりも投資のほうが大きいが発展段階を進むにつれて成果が大きくなることを解説してくれた。 また、一人の顧客からのカスタマーシェアをいかに高めていくかを5段階に分け、各段階の事例を紹介してくれた。 (1)Awareness:振り向かせて(注目化) 「4頭の馬」のバドワイザー、アイパッチのハザウェイのシャツ、AVISのナンバー2 (2)Identity:気づかせて(興味化) MCIの「フレンド&ファミリー」、ゼラーズのポイント制 (3)Relationship:話し合いして(継続購入化) フリークエント・フライヤー・プログラム (4)Community:輪を作り(仲間化) アテネ(Utne)雑誌読者のサロン作り支援、GMサターンの「ホームカミング」 (5)Advocacy:口コミの輪を広げる(口コミ演出) MCI「フレンド&ファミリー」プログラム ※この年(1996年)7月9日、リチャードクロスを招聘し、虎ノ門オアストラムで講演会開催。オンラインショッピング"ピーポッド"など事例。(テスコのオンラインホームショッピングのモデルになった)。ピーポッドは2000年ロイヤルアホールド株式51%取得。 ※(ピーポッドストリー) ピーポッドは2000年春にCEOが退陣、1億2000万ドルの資金調達に失敗し、株価が半分に下落するという倒産状態に追い込まれた。4月中旬にはオランダのスーパーマーケット、アホールド(Ahold)が7300万ドルで51%の株式取得に応じている。この取引が成立すると、ピーポッドとアホールドは、西海岸のアホールド・スーパーマーケットにあるミニ配送センターを展開できる。 ピーポッドはアンドリュー・パーキンソン(Andrew
Parkinson)と彼の弟トーマス(Thomas )が1989年に創業。1990年に消費財の販売で専売権付ソフトウェアを試した最初の小売業者で、パイオニアであると同時にサバイバー(生き残り企業)でもある。販売地域(8)と顧客数(約11000人)は翌日配送を実現する競合の中では最大である ・創業当初のビジネスモデル欠点 ピーポッドは地元のスーパーマーケットと提携して、お客様に注文の品を提携スーパーへ取りに行ってもらっていた。この方法は顧客がなじみの店を利用できる点が長所であったが、サプライチェーンのコストが高く非能率的で労働力を必要とした。 ・倉庫開設による成功 1998年には競合のモデルであった専用配送センターをシカゴとサンフランシスコに建設。1999年には2850万ドルの損失を出したものの、収益(25.4%)、平均注文額(117ドル)、顧客数(11000人)は最高に達し、アナリストの予想を裏切った。次にダラスにある配送センターのリースのため1億2000万ドルの資金調達を行っていた。 ・株価暴落とマスコミ そのダラス計画は4月中旬にCEOビル・マロイ(Bill
Malloy)氏が過労のため退陣、大手投資家の相次ぐ撤退とともに頓挫した。マスコミはこの同社特有の状況と指摘しつつ、仮想店舗はいずれ現実店舗と変わらない金策が必要となり収益減少、高コストに陥る
"e-コマースの暴落"として取り上げたがった。アナリストによると、ピーポッドはインターネットグローサーだけでなく、インターネット株をも代表する存在であり、資金調達できなければ去るのみ、というネットグローサービジネスの姿を端的にあらわしている。 ・アホールドとの提携 アホールド以前からピーポッドと提携しており、その経験がアホールド・グループのストップ・アンド・ショップ(Stop
& Shop)、エドワーズ(Edward's)、ジャイアント(Giant)の"ファストピック"戦略に結びついていた。ピーポッドは専門技術とウェブのブランド、マーケティングのノウハウをアホールドに提供し、アホールド側はミニ配送センターを併設させる店舗のスペース(7000-8000平方フィート)、そして海外進出のチャンスをピーポッドに提供する。 ・ピーポッドの今後 まずはアホールドの店舗にファスト・ピックセンターを設置していき、その後はアホールド店舗のない地域に配送センターを引き続き建設するという二股路線でやっていく。突発的に見舞われたさまざまな難局は、創業以来財務的に綱渡りしてきたピーポッドに、アホールド提携という保証とも言うべき展開を奇妙にも生み出した。そしてピーポッドはまたもやネットグローサーのサバイバーとなったのである。 ※(荒川著書『デジタル流通』ダイヤモンド社に詳細、数冊在庫あり。ピーポッド、CUCインターナショナルなど企業訪問した紹介)
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