『グーグル秘録』 ケン・オーレッタ(ニューヨーカー記者)文藝春秋  2010.5.15 

 
1998年創業、今では世界ナンバーワンのメディア大企業となった最強にして最も危険な企業
グーグル。徹底的な調査報道からの驚愕の歴史。我々が検索するたびに、データが積み重な
っていく。そして伝統メディアの市場を破壊し、マイクロソフト、アップルと戦う。


グーグルの創業は、ふたりとも1973年生まれのサーゲイ・ブリンとラリー・ペイジ。ブリン
は代々科学者の家庭。ロシアで生まれ、両親は数学者だった。反ユダヤ主義のため、職が得
られずロシアを脱出。労働者階級が暮らすメリーランド州の郊外住宅に住む。モンテッソー
リ式小学校に通う。ルーズベルト高校からスタンフォード大学へ。数学とコンピュータ・サ
イエンスを学ぶ。データマイニングを研究。「すでにある種の天才と評判だった」。外交的
でおふざけも大好きだった。効率性を何よりも重視した。 

ラリー・ペイジはミシガン州生まれ。父親はミシガン州立大学のコンピュータ・サイエンス
と人工知能教授で博士。中産階級。一家揃って読書家。ブリンとは対照的に際立っておとな
しい性格。一人でいることが好き。恥ずかしがり屋で「非社交的」と言われる少年だった。
インタビューにはなにも答えず、携帯電話をじっと見つめているだけだった。偉大な発明家
なのに辛い極貧の中で生涯を終えたニコラ・テスコの伝記に刺激を受け「発明だけでは意味
が無い」と固く決意。1995年、スタンフォード大学に入学。ブリンが2年先輩。新入生向け
オリエンテーションで議論し、意気投合する。ある晩、突然夢から飛び起き「ウェブ全体を
ダウンロードしてリンクの記録をとったらどうだろう」と考えた。これが検索モデルの発明
になった。

グーグルはスタンフォード大学の近く、スタンフォードのままの会社の雰囲気を用いている。
無料の食堂、マッサージ、 数々の遊び道具、Tシャツにジーンズにスニーカー、通勤は自転
車。勤務時間の20%を好きなことに使えとする「20%ルール」。金曜日の午後4時からの全社
員参加の「TGIFミーティング」。出勤は自由だ。「俺達に指示するな!」。従うことはなく
常に議論に挑む。まったく良心の呵責も感じずに「あんたの言うことはでたらめだ!」と傍
若無人。「エンジニアこそキング」「自分達の哲学は『安住しない』の一言に尽きる」と。
企業理念は「世界中の情報を整理し、あらゆる人が入手利用できるようにする」、1999年から
「邪悪になってはいけない」。

社名のグーグル(google) は、10の百乗グーゴル(googol)のスペルミス。極めてスケール
の大きい検索エンジンの意味。

最近(2014.10.8) 取締役会長のエリック・シュミット、ラリー・ペイジのアドバイザー、
ジョナサン・ローゼンバーグの共著『Googleグーグルはこの方法で成功した』が出版された
(日本経済新聞社)。文化、戦略、人材、意思決定コミュニケーション、イノベーションの
5章からなる。