『弁論家』 キケロ 岩波文庫 

 

「クラッスス、われわれもプラトンの『パイドロス』に出てくるソクラテスに倣おうじゃないか。
君のプラタナスを見ていて、ふとそれを思いついたのだ。君のプラタナスも、ソクラテスが
木陰を求めたプラタナス―あの本に書かれている小川そのものによってというよりは、
むしろプラトンの文筆によって大きくなった、と私には思われるあのプラタナス―に劣らず、
大きく枝を広げて陰を投げかけてくれている。堅忍不抜の足のソクラテスがあのとき立った
ことつまり、草の上に身を投げかけ、そうして、哲学者たちの伝えるところでは、霊感に駆ら
れて、という、あのような話をすることは、私のこの足にはなおさら正当に許されることだから。」
と対話が始まる。
ソクラテス、プラトンは「真実らしいもの」ではなく「真実」そのものが問題であり、その「真実」
にいたるには「弁論術」ではなく「問答法」による以外にないと弁論術を否定。弁論術は「真
実らしいもの」を「真実」のように思い込ませる説得を目的とするものであると捉えていた。
キケロは「このことから、舌(弁論)と心(哲学)の乖離・・・・理不尽な、無益な、批判される
べき乖離が始まった」という。弁論術は、「蔑み」の風潮に遭遇するようになる。